今日、三月二十四日。明日から公立の小学校、中学校、高校でも春休みになる。無論卒業生はとっくに休暇を謳歌している。また大学の学部生(三年生まで)においてはさらに以前から春休みだ。それでも今日までは研究室の学生は登校してくる。しかし、明日から四月の第一週目の月曜日までは、登校してくる学生はほとんどいなく
なる。

ただ、今頃来ている学生は学会発表準備がある修士以上の連中か、さもなければ四月の中旬頃、毎年開いている学科合同のお花見の企画やそこでの宴会芸の計画あるいは練習をしている連中である。すでに紀雄がこの大学に赴任したときには学科花見会は伝統となっていた。単なるどんちゃん騒ぎの宴会花見とはわけが違う。東京などとは異なり、上越の大学の場合、新歓コンパの時期はちょうど花見の時期と重なる。まして高田城周辺は全国から観光客が集まるほどの夜桜の名所。夜桜と堀に移る三重櫓のポスターは全国で目にすることができるほど。連日、自分の所属する何某かの団体での花見が続く。一晩でいくつかの花見をはしごなどということですら生ずる。そんな中においても情報工学科の花見は所属する者にとって最も重要な会なのである。サークルや体育会の花見と重なった場合でも学科の花見を優先するという暗黙の掟がある。この学科に春に配属された学生はその芸の質の高さに驚かされる。原則、芸は古典的舞を舞うことになっている。能楽や神楽などである。そのためには先輩から後輩に舞を伝える必要がある。だからこの時期に練習をすることになる。そもそも何故このような舞芸を花見で行うようになったのか。学科創設時の学科長の趣味が薪能鑑賞であったらしいが定かではない。戦前、高田に陸軍第13師団があったが、ある師団長が盃に花びらを入れ自分の前で能を舞わせたとか。学科長がそれを模したのであろう。さながら師団長気取りで。

紀雄は正直この花見は苦手であった。教授連が主賓とばかりに最前列に座し、その前で舞をさせる。教授の盃には雪中梅(丸山酒造場)が、助教以下学生達の盃には越乃雪月花(妙高酒造)との決まりまである。ただ最も見事な舞を演じたチームには雪中梅の一升瓶が教授らから送られる。この贈呈役に紀雄は当たることを毎年恐れて
いた。

「先生、また笛でも吹かれては」
学会発表の準備で出てきていた則武君が言った。四年前である。学生達にそそのかされて花見で舞楽を吹奏するために練習したことがあった。結局、本番の花見のときは学生が演奏して紀雄に出番はなかった。というより学生に押し付け自ら自分の出番を封止したのだが。紀雄が笛を練習するときは人に聞かれまいとて、よく春日山城址の本丸まで行って練習した。本丸からの眺めはかなり良い。日本海、頚城の平野、中心を流れる関川、そして山々が見える。ただ、本丸までは麓の駐車場に車を止め結構な山登りとなる。それでもそこに行くのは、この眺めの中で一人、誰にも邪魔されずに練習したかったためであろう。ただ、しばしば観光客が通り、都度、紀雄は練習を直ぐに止め笛を隠した。なんと言ってもここは、戦国の雄、上杉謙信の居城である。立派な山城で郭も当時のものがいくつか残っている。当時の巨大な井戸も残っている。毘沙門堂(麓の神社)もある。春日山城ものがたり館という資料館もある。また当然、謙信の銅像もある。

「則武君こそ、笛でもふいたら」
紀雄は言い返した。

                   * * *

 四月の末に則武君が同行することになっている米国シアトルでの国際学会のため、紀雄自身もプロシーディング(予稿)の準備をしていたが一段落ついた。そして当然のようにメールをチェックした。久しぶりに東からであった。岩井からのメールの転送信となっている。

送信者:     “東 亨”  <t-higashi@yhmuseum.pref.yamanashi.jp>
宛先:       <n-suzaka@joetsu***.ac.jp> 
送信日時:   20**324 13:08
件名:       Fw:ReRe 韮崎に百万塔

須坂先生

 お世話になっております。**博物館の東です。

 岩井からのメールの転送です。実は山梨県韮崎市に本物の百万塔が存在することが今更ですが、分かりました。このようなことも知らないとは御恥ずかしい次第です。

---- Original Message ----
From:”岩井美佐子”<m-iwai@hmuseum.pref.yamanashi.jp>
To: ”東 亨  <t-higashi@yhmuseum.pref.yamanashi.jp>
Sent: Friday, March 24, 20** 9:56 AM
Subject: ReRe:韮崎に百万塔

東館長殿

 野本さんの指摘の通り、韮崎に本物の百万塔が存在することが分かりました。山梨県指定重要文化財です。物は堀内さんと言う方の個人の所蔵品です。韮崎市誌に由来の記載がありますので引用しておきます。
 ―――――

“田野栄太郎は、明治の頃、奈良県の吉野に住み医を業としていたが、法隆寺の経済的危急を知り名刹維持の基金として浄財の施入を申し入れた。寺はこのような協力者・諸檀那の喜捨に対する感謝の記念として、由緒深い寺蔵の百万塔と無垢浄大陀羅尼経完など二冊子を贈呈した。受領されたこの百万塔はその後、田野の出身地中巨摩郡櫛形町(現南アルプス市)小笠原の生家桑島氏の有に帰したが、たまたま故あって旧知の韮崎市堀内家におくられたものである”
 ―――――
協力者の喜捨に対する感謝の記念として百万塔を贈呈とありますが、正しくは、法隆寺が伽藍修復の負債返済資金調達のため、百万塔陀羅尼962基を民間に譲与したもので、保存の程度によって価格が決まっていました。
以上の状況から、この本物の百万塔が山梨県に来た由縁とレプリカが甲斐安国寺で見つかったことは何の関連性もないように思われます。(‘@@)
以上

---- Original Message ----
From:”東 亨  <t-higashi@yhmuseum.pref.yamanashi.jp>
To: :”岩井美佐子”<m-iwai@hmuseum.pref.yamanashi.jp>
sent: Thursday, March 23, 20** 16:23 PM
Subject: Re:韮崎に百万塔

岩井さん
野本君のメールに書いてあることは正しいですか。直ぐ調べて下さい。何故今まで把握できていなかったのですか。場合によっては、篠島からレプリカが甲斐安国寺に行き着いたことと関連があるかもしれません。少なくともヒントになるのではないですか。

---- Original Message ----

From:”野本 剛 <t-nomoto@yhmuseum.pref.yamanashi.jp>
To: ”東 亨  <t-higashi@yhmuseum.pref.yamanashi.jp>
sent: Thursday, March 23, 20** 12:14 PM
Subject: 韮崎に百万塔

東館長殿

 韮崎市に県文化財の百万小塔というのが、県文化財目録に記載されています。

野本

 野本というのは同じ博物館に勤める別の学芸員のことだと紀雄は推論した。どうも東は岩井にきつい調子であたる習性があるのではなかろうかとも推測した。紀雄宛であるがCc:には智と岩井が入っていた。わざわざ、館での内輪の騒動まで分かるような形で紀雄にメールをだし、かつCc:には岩井自身も入れてあるというのは。紀雄は、岩井と東の関係を想像したくなかった。これがセクハラやパワハラに当たらなければ良いのだがと。
 このメールに返答を出すのも気がひけたので、改めて新規メールで東と岩井を宛先にし単に篠島に関しての調査の進捗を問うメールを出しておいた。
 夕刻、岩井から篠島から新たに分かったこと等を記したメールがきていた。
送信者:   岩井美佐子”<m-iwai@hmuseum.pref.yamanashi.jp>
宛先:     <n-suzaka@joetsu***.ac.jp>
送信日時:   20**324 17:47
件名:     Re:篠島の件
TO:須坂教授殿
cc:智様、東館長殿

お世話になっております。山梨県立**博物館の岩井です。(‘@@)

この島”=“篠島”はほぼ間違い有りません。1338年の史実からほぼ確定的と言えま
す。1338年夏に義良親王(のりよししんのう:後の南朝後村上天皇)を奉じて北畠顕信が鎮守府将軍となり伊勢の大湊から大軍団で東国制圧に出発しました。敵は北朝勢です。時は、鎌倉幕府が滅亡し建武の新政を経た南北朝時代の初頭です。威勢良く出航したのは良かったのですが遠州灘付近で台風に遭遇し難破してしまいました。しかし、幸運にも義良親王と北畠顕信が乗船していた船は伊勢国篠島(現在、伊勢は三重県ですが篠島は愛知県に属しています)に流れ着きました。
(^○^)

篠島には今もその義良親王が滞在中に掘られたとかいう井戸が現存していて、帝井(みかどい)と称される名所になっているそうです。(◎ 。◎)以上のことから、

 むつのみここのしますみてちょくしまつ → 陸奥の皇子この島住みて勅使待つ

とするのが妥当であると考えます。
(←義良親王は“陸奥の皇子”と呼ばれておりますので)

「勅使待つ」は、帝つまり後醍醐天皇の勅旨の伝令を待つことになります。しかしこれは単に朝廷からの使者(お迎え)を待っていますとの意だと思われます。総合しますと、
「義良親王が篠島に居りますので救出に来て下さい」ということです。
つまり、篠島に流れ着いたので助けを求めたものであると、ほぼ言えると思います。

この秘密文書を運搬するのにロックのかかる容器として百万塔レプリカが作成されたものと思われます。また先生のご指摘の通りウバメガシは南知多の幡豆神社のものである可能性は極めて高いと思います。
                           以上岩井でした。(‘@@)

 紀雄は呟いた。
「帝井か」

        
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