第一部目次 (上越高田  篠島編)



    
 
   


    

   
   
    
 大学の同窓会に出席するのはあまりにも久しぶりのことだった。今朝、妻に高田駅まで車で送ってもらってから、店のある新橋に着くまでずっと頭の中を考えが回り続けている。いや、名前も顔も知らない世代もかけ離れた現役の大学院生の幹事から招待メールが届き、その時からずっと悩み続けている。だったらわざわざ16年もの時を経て何故出席するのか。

紀雄は大学の自室の端末でメールを受けプリントアウトして家でそのメールを読んだ。その後、家の書斎に放置されていたそのメールを妻が読んだのであろう。妻に幾度か、たまには出てみたらと言われ、返信メールで一言、出席と書いて送信ボタンを押した。送信ボタンを押す直前の瞬間まで、幾度となく欠席と修正すべきではと葛藤しつつ。この同窓会に出席することは同窓生の誰にも伝えていない。返信から約1ヵ月後の今日、2月の第三土曜日。

 新幹線を使えばよいものを、わざわざ倍以上も時間のかかる松本経由中央線で東京に出たのは、府中の景色を見たかったからだ。紀雄はかつて府中市片町に12年間住んでいた。妻の芳子と結婚してから、息子の智(さとる)のことが原因で上越市に引っ越すまでの間の12年である。

 篠ノ井線も中央線も車窓から雪を頂いた山容が見える。しかし姨捨から一望できる長野盆地にも、勝沼から一望できる甲府盆地にも雪はなかった。雪がないほうがむしろ寒々と見える。車窓を流れるこれらの風景を見つめつつ、片町の日々、妻の苦労、自分への責め、智の今後への不安等々と暗いことばかりを思い浮かべていた。

16年前、息子の周の子達は不自由なく会話するようになっているにもかかわらず智はいくつかの語を発するだけであった。初めの頃は、少し言葉を覚えるのが遅いだけだと考えていた。言葉は結果的には遅かっただけで済んだのだが。出生時にも医師からは特段のことを言われていない。しかし、普通の子ではないと分かった時から現在に至るまで様々な辛いことがあった。もちろん希望も楽しみもなくはないが。智は所謂、高機能自閉症なのだ。それも今でこそ分かっているのだが、サバン的自閉症と言われる極めてまれな症例である。
 
 最初の試練は保育園の不適合からだ。息子のこと以上に芳子が勤めていた会社をやめざるを得なくなったことが紀雄にとっては、妻に申し訳なくて居た堪れなかった。また、二人目の子供を持つことを諦めざるを得ないことはなおさら芳子に申し訳なく感じた。仮にその子が正常な子だとしても、兄が高機能自閉症であるとその子に少なからぬ迷惑がかかる。進学や就職は確かになんら差別を受けることはないはずである。しかし、普段の友達やまして結婚先となると兄がそうであれば敬遠されるに決まっている。優生学と言う概念が少なからず残存している当時、紀雄も芳子もそう考えていた。無論、未だに優生学は脈々と存在している。そしてこの頃に智はアスペルガー症候群と診断された。しかし、それは後に誤診断であったことが分かったのだが。
 
 次の試練は日常生活。妻の手助け無しではまともに靴下も履けない。また、左右の靴下は必ず左側から履かせないと異常なまでの癇癪を起こす。靴下だけではない。シャツもズボンも左側から通す。靴下もろくに履けないのに脱いだものは時間をかけて丁寧にたたむ。そしてそれは卒園し小学校に入学してからも変わらなかった。それどころか未だに。
 
 時間というものにも1年生頃からであろうか異常なほど固執するようになった。朝起きる時間、食事をする時間、就寝をする時間はいつも正確に決まっているのだ。そのことは彼が6歳当時において時刻を正確に読み取ることができ、かつ時間計算がすでにできることを意味していた。小学校に入り智が算数を学習しはじめてすぐに分かったことなのだが、彼の計算能力の高さは並外れていた。すぐに小数の掛け算や割り算まで理解できるようになった。他の子供と比べると驚異的な計算能力である。残念なことではあるが、そのことも智の学校における共同生活崩壊の一因となってしまった。彼にとって学校での算数の授業は不愉快極まりないものであったようだ。
 
 そもそも社会性が乏しく、他人とのコミュニケーションがとり難く、自分の感情コントロールが不可能な智が他の子供たちと、さらには教師達とうまく生活することが困難なことは明白であった。2年生以降彼は時々教室内で感情を爆発させ、時として暴力に発展することがあった。暴力といっても小さな児童である。その頃はまだ力も弱く、大人であれば充分制御し切れるものであったのだが。また時として癇癪を起こし、その中の一度ではあるが癲癇(てんかん)に至ったことがある。そのせいかどうか、クラスの一部の親達が智の存在を問題視し始めた。2年生の間は担任も校長も妻芳子味方であった。しかし3年の時に担任も校長も代わり、いつしか智の存在を学校側も問題視するようになっていった。新校長は警視庁の出身者で、地域住民から通学や学校生活での安全性向上に対する期待を受けていた。最悪なのはその校長が教育基本法、学校教育法、教育公務員法、挙句に、こちら側の権利を守るはずの発達障害者支援法まで持ち出し智を普通教室から締め出そうとしたことだ。これに対して芳子は息子を守るために、地域の中で似た境遇にある高度自閉症児の親の会やあるいは様々なNPOから知識やサポートを受けつつ校長らに対抗した。しかし、校長や担任と対峙するという構造自体が好ましくない。親の会やNPOから得た知識でこちらが武装すればするほどこの対立は深まり、結果として問題解決がかえって遠のく、そんな悪循環がはじまる。紀雄はその悪循環を断ち切る方法を模索したのだが。
 
 紀雄はかねがねネガティブな考え方をしていた。そもそも智の異常な性質は自分から遺伝したのではないか。なぜなら、紀雄自身学生時代から数学的センスに恵まれていたし、智ほどではないが社交性にかけていた。一方芳子は文系で、社交的で、彼女からの遺伝ではないなどと。だが、紀雄がどんなに悩んでも妻が校長へ何度となく申し入れをしても救いの道はなく、夫婦ともども智のことで疲れ果てていった。自分の息子なのだ。いくら疲れ果てても諦めてはいけない。親には責任がある。ADHD関係のNPOからは決してそういうネガティブな思考や責任感的発想になってはならないと言われてはいても。多分、今なら小学校も当時のような対応はしなかったかもしれないが、約10年前である。どんな説明もあの警視庁出身の校長には無意味なことだった
 
 しかし転機はくるものである。智の小3が終わる頃、上越にある国立大学法人から紀雄に情報工学担当の准教授の口があると声が掛かった。もともと、府中で彼はメーカーの研究所にいて、電子透かし技術(デジタルウォーターマーク)の研究開発に従事しており、業界、学会では名が通っていたのだ。こうして、紀雄の家族は府中から上越に移り住むことになった。そこで非常に幸いだったのは智の転校先である。もともと紀雄を呼び寄せてくれた副学長が教育学部長に智のことを話してくれており、上手く智が大学の教育学部付属小学校に転校できるようにアレンジしてくれたのである。とはいうものの国立大学法人の教育学部付属小学校である。半ば智は研究の材料だったのかもしれない。それでも前の学校より何百倍も何千倍も良かった。そしてそこに入学してすぐ智はサバン的自閉症と診断されたのである。

 サバン的自閉症あるいはサバン症候群とは、簡単に言ってしまえば、自閉症でありながら特異な才能を発揮する症状である。とくにその才能が天才的であり、例えば常人ではかなり時間のかかる暗算が瞬時にできたり、カレンダー計算と言われる西暦何年何月何日は何曜日かすぐに計算できたりすること等々。また稀に、一瞬で見た景色をまるでカメラで撮影したがごとくに正確に記憶しそれを再現することができたりと。映画レインマンの主人公がまさにこのサバンである。概して数学的、あるいは映像的記憶にからんだ能力が突出している。それは常人より進んだ脳機能を保有しているとか、劣っているとかではなく、単に常人が持ち合わせている重要情報のみを選択的、優先的にフィルタリングし処理する能力の欠損が原因と考えられている。それは多くの自閉症の能に共通したことなのかもしれない。

 紀雄は中央線から南武線に乗り継ぎ府中に昼過ぎに着いた。特にすることがあるはけでもない。同窓会が始まる夕刻まではまだ随分時間がある。駅から住んでいた片町を通り、市指定重要文化財もある曹洞宗龍門山高安寺まで散歩してみた。住んでいた当時は全くなにも感じなかったが随分と立派な寺である。入り口に足利尊氏開基と書いた立て看板があったのだが。今日はそれに気づかなかった。昔よりも史跡に関する案内板が街に増えているように思えたのだが。この寺の境内に智をよく散歩に連れ出したが、決してそれは楽しい思い出となるようなものではなかった。たいがいトラブルが生ずるからだ。それでも諦めるなとNPOから言われ何度となくいやな思いをした。ただ智は本堂の屋根の傾斜と寺紋にいつも見入っていた。
 それが何故かは紀雄にも理解できなかったが。再びその屋根を見て紀雄はため息を漏らした。寺紋をよくよく見ると円の中に水平線が二本だけあるシンプルなものである。


 その智も今、18歳。今後の自立に大きな不安を残したまま東京にある私立大学を受験した。自閉症の子が大学に合格できるのか。彼は数学と物理は問題なくこなせるが、英語と国語は極端に嫌う。仮に合格してしまったらどう生活するのか。受験させたことは本当に良かったのか。何につけても万事、智は紀雄の悩みの種であった。

 そもそも智ほどではないが非社交的な紀雄にとって同窓会に出るのは昔から苦痛であった。しかし、彼は大学の博士課程に進んだが故に、当時は同窓会に半ば義務として参加せざるを得なかったのだ。16年前に智が尋常な子ではないと知ったとき以降、彼はとうとう毎年開かれる同窓会に出席するのに耐えられなくなった。同窓会にでれば自分の世代との会話が中心になる。すると必ず子供の話も一回は話題になる。
「確か智ちゃんて言ったっけ。元気かい。」
この16年間、この手の質問に遭遇しそうな機会はことごとく避けてきた。


 紀雄は甍を見つめながらもし今日この質問にあったらどう答えるか何度もシミュレーションを繰り返した。大学受験したとでも答えるのか。もう直に五十になる。大の大人が何をくよくよと。人間五十年、下天のうちに較ぶれば夢幻のごとく。紀雄はふとその言葉を思い出し高安寺を後にした

  

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