紀雄は、灯油の消費量がピーク時に較べるとかなり減ってきたと感じた。外に120リッターの灯油タンクがあるが、今週は全く入れていない。だいぶ平均気温が高くなった証拠である。高田の寺町から奥の方にある山、日本スキー発祥の地である金谷山にも雪がない。暖かい日が続いたからだ。
 紀雄は今日始めてメールを見る。何日ぶりかで東からメールが届いていた。

送信者:     東 亨  <t-higashi@yhmuseum.pref.yamanashi.jp>
宛先:       <n-suzaka@joetsu***.ac.jp>
送信日時:   20**315 16:53
添付:    百万塔内文書.pdf <左の添付ファイル名をクリックすると見られます>
件名:       Fw:分析結果
須坂先生、智様

 お世話になっております。**博物館の東です。

 岩井からのメールを転送いたします。まだ詳しい議論をしておりませんがこの百万塔のレプリカは本当に骨董品中の骨董品で時代は南北朝初期、内蔵されていた文書も未だに解読しておりませんがスキャナーで取った文書のPDFを添付しました。何故このような紙が2枚も入っているのか謎です。さらに、それには明確な年月日の記載がなく、ただ最後の“伊賀上神戸ヶ介”が宛先かもしれませんが。伊賀(三重県:忍者の里で有名)に神戸(かんべ)という地名があります。ただ誰が何のために書いたのか全く不明です。そして何故、仮に伊賀に宛てたとして、では何故甲斐の安国寺がこの百万塔のレプリカを保有していたのか、謎は深まる一方です。
 相輪部と塔身部での樹種は智様ご指摘の通り異なっており、中のメモと言うか文書を輸送するためのロックであった推論は充分考えられます。ただ以下の岩井のメールにありますように相輪部と塔身部では推定伐採年が異なります。森林総研の見解では伐採地も異なるようです。いずれにせよ、樹種と年代が分かったことが謎解きの最初のヒント
です。


---- Original Message ----
From:”岩井美佐子”<m-iwai@hmuseum.pref.yamanashi.jp>
To: ”東 亨  <t-higashi@yhmuseum.pref.yamanashi.jp>
Sent: Wednesday, March 15, 20** 10:44 AM
Subject:分析結果

東館長殿

 森林総研の分析測定結果が届きました。測定は炭素同位体法です。

相輪部:樹種はウバメガシ 伐採地 不明 伐採年 西暦1338年 誤差±10年
塔身部:樹種はヒノキ   伐採地 不明 伐採年 西暦1282年 誤差±5年

 森林総研の見解では伐採地は異なっている可能性があるとのことです。また、智さんが予見されていた通り、相輪部が広葉樹(ブナ科)で塔身部がヒノキでした。今、私のほうで甲斐国関係での伐採年である鎌倉末期から南北朝初期時代の文献をいくつか当たりつつ、これがどこで、誰が、何の目的で作成したのか考えております。
 また、例の甲斐安国寺の件ですが心経寺から安国寺になった年代は1345年以降とのことです。

岩井(3482)

 紀雄には元来、全く無関係な話である。県立の博物館が骨董品屋で購入した甲斐の国の仏教美術品など縁もゆかりもない。しかし、メールが届くうちに少しずつ東が語る謎解きに荷担したくなっていく自分に気がついていた。メールに添付されていたファイル、“百万塔内文書.pdf”を開いてみた。
 冒頭と思われる「参拾壱ヶ条」が31ヶ条ということであろうと言うこと及び最後の伊賀以外さっぱり分からない。理系の紀雄は古文、漢文にうとい。
「むのつぎのうつ.....?」

わからない以上これ以上このファイルを開いていても仕方がない。紀雄は溜息をつき、ホームページでも見てみようと思った。とりあえず、東のメールにある木の伐採年の歴史でも。そこで、インターネットで1282年と1338年に何があったのか年表を調べてみることにした。東ではないがこれが謎解きの最初の手がかりなのだからと思いつつ。

随分懇切丁寧に書かれたホームページやブログが沢山あるものだと感心する。紀雄が重要だと思った事項を色々なホームページからワープロソフトにコピー&ペーストしてさらにフォントとサイズを統一し1282年と1338年とこの間の特に有名な歴史を一覧表に作成してみた。また紀雄は、特に目を引いた事項に関しては字体をボールドにしてみた。

1287年
1288年
1296年



1318年
1324年
1332年


1333年


1335年




1336年

1337年

1338年









1339年



 
10/21 
11/ 8 
 3/ 4 
 5/18 
10/ 3 
      
 3/29 
 9/19 
 3/ 7 
11/−  
11/−  
 4/29 
 5/22 

 7/25 

 8/19 


 1/16 
 5/22 
 8/11 
12/23 
 1/28 
 2/21 
 5/15 
 5/22 
 7/ 5 
閏7/ 2 
閏7/26 
 8/11 
 9/−  
 9/−  
 3/―  
 6/ 1 
 8/15 
 8/16 
皇統が2つに分裂(持明院統と大覚寺統)
後醍醐天皇誕生
幕府の使者が奈良へ行き、南都僧徒の争いを収める
幕府が東寺領弓削島荘雑掌と三分二地頭代との年貢徴収権裁決
南都北嶺の諸大寺の横暴や新興諸教の振る舞いなどを天狗に
なぞらえて宗教界を諷刺した絵巻「天狗草紙」ができる
後醍醐天皇即位
正中の変(後醍醐天皇に倒幕計画、しかし六波羅探題が先制)
前年9月から笠置に逃亡して捉えられた後醍醐天皇が隠岐配流
護良親王が吉野で倒幕挙兵。各地の武将に倒幕の令旨発給
楠木正成が河内千早城たてこもる。幕府軍と激戦
最有力御家人の足利高氏が篠村八幡宮への願文で反幕府の姿勢
新田義貞を大将とする反幕軍が鎌倉突入。北条高時は東勝寺で
自決し鎌倉幕府が滅亡
中先代の乱。北条時行が一時、足利直義の軍を破り鎌倉を回復
混乱の中足利直義が命じ、鎌倉に幽閉中の大塔宮を処刑
足利尊氏は直義軍を援助し鎌倉奪回。鎌倉旧幕府跡に居を構え
征夷大将軍を自称。
(後醍醐天皇の建武親政への武家の不満が背景)
足利尊氏入京。北畠顕家軍と京都で激戦。尊氏軍は西海へ退去
楠木軍と足利軍が湊川で対決。正成敗死
陸奥の北畠顕家が義良親王を奉じて、西上のため霊山城を発つ
北畠顕家が鎌倉入城
北畠顕家が美濃青野原で北朝軍に敗れ、進路を伊勢に変える
北畠顕家が入京を計るが北朝軍に敗れ河内退却、義良親王は吉野へ
北畠顕家が後醍醐天皇の政治を批判し諫奏
北畠顕家が北朝軍高師直と堺石津で決戦、敗死
高師直が南朝軍拠点の山城国男山を攻め、石清水八幡宮を焼く
新田義貞が越前国灯明寺畷で斯波高経と戦い敗死
北畠顕信が鎮守府将軍に任命される
足利尊氏が北朝より征夷大将軍に任命される
北畠顕信が義良親王を奉じて伊勢より海路で東国へ途中難破する
伊豆大島三原山噴火
伊勢国から帰還した義良親王立太子
光厳上皇が備後の浄土寺、肥前の東明寺に塔婆を建立
後醍醐天皇が義良皇太子に譲位、後村上天皇となる
後醍醐天皇崩御  
              <資料:講談社 日本全史> 

紀雄は期せずして1339年8月16日の後醍醐天皇の崩御で表の作成を終えた。だとすると自然に後醍醐天皇の誕生をこの表中に付け加えたくなり、またネットで逆にその年号を調べ、表の2行目に加えた。1288年11月8日、後醍醐天皇誕生。
歴史が結構好きな紀雄だが、知らない名前が随分と多いなと感じた。源平時代や戦国時代あるいは幕末や古代史に較べるとこの太平記時代は人気がないせいなのか。

紀雄は再び、智から父と記載されたメールの返信がありえるかも知れないと期待しつつ、先ほどまとめた年表を添付したメールを智宛で送付した。年表だけでは味気ないし、せっかく開通した父と息子の新たなコミュニケーション手段である。メールの末尾にPSを書いた。

PS
 ところで、大学では何を学びたいと思っているのか? 最近、特に興味を持っていることは? 

ふと紀雄は四年前、智を上越市の水族館に連れて行った時のことを思い出した。彼が鮫を初めて見たときの顔は全く普段と変わらなかった。楽しいのか、嬉しいのか、つまらないのか、面白いのか、全く分からなかった。父親のことをどのような感情で考えているのだろうか。多分、彼は情緒的な感情を両親に対して何も持っていないのかもしれない。だからと言って父親として息子の興味を何も知らなくて良いのだろう
か。水槽の前で、何に興味があるのかと聞いてみた。智からは、数学が好きと言う言葉が返ってきた。「数学の何に」
「数論。だけど37、59、67、101、103、131、149は非正則素数だから好きではない」
「非正則素数。ベルヌーイ数から導くあの非正則素数のことか」
 紀雄は情報論の学者であるから無論非正則素数は知っているが、通常は大学の学科3年生ぐらいで登場する知識であり、正直驚きと戸惑いを感じた。智は図書館で数論関係の本を借りてきて読んでいるらしい。
 そう言えば、府中に住んでいた頃のこと。未だ智は小学校の2年生だった。その時似た質問をし、似た答えが返ってきた覚えがある。
「何の教科が好き」
「算数」
「算数の何が好きなの」
「数字」
「どんな数字が好きなの」
「6、28、496、8128、33550336」
「・・・」
これらの数字が完全数であるということに後で気がついた。
(完全数:数字の約数の和がその数字自身と等しくなる数、例: 6=1+2+3 
 28=1+2+4+7+14)


        


百万塔内文書




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