翌早朝、尾張へ調達に出向いていた島民が帰着した。そして調達品の他いくつかの情報がもたらされた。調達品の主だったものは炭、木材、衣類と野菜であった。島の森林資源は限りがあり、特に炭と木材は貴重である。今回の調達ではその炭も木材もウバメガシであった。ウバメガシは非常に炭として品質が良好らしい。所謂、備長炭の原料材はこのウバメガシだ。また、製材にしたときは非常に硬いという特徴がある。実は尾張国知多の幡豆岬はこの篠島に最も近い本土であるが、そこにある幡豆神社の境内には太古より自生しているウバメガシの森がある。島民が知多に調達に出たおりには、木材などの重量物はできるだけ最後に回し、また、できるだけ船着場のそばから手に入れる。それは労働力の関係上、最も楽で結果的に費用がかからないからである。それが故に、篠島へ持ち帰る炭や木材はこの幡豆岬のウバメガシであることが多い。

島に持ち帰られた新たな情報は北畠顕信にとって悩ましい情報であった。ひとつは一緒に伊勢大湊(現在、伊勢市大湊)を出発した軍団に関する情報のことである。実は大湊からは二隊八十五隻の船団で出立しているのだが。第一隊は義良親王を奉じ顕信自身と補佐役である父親房及び結城上野介宗広(ゆうきこうづけのすけむねひろ)を含む北畠軍団、五十五隻。第二隊は一品中務卿である宗良(むねよし)親王及び遠江の者達、三十隻。その中でこの篠島にたどり着いたのは義良親王と顕信が乗船した御座船のただ一隻である。噂では遠州天竜沖で数多くの船がそのまま沈没してしまい、また一部は上陸したものの不幸にして足利方の格好の餌食となってしまったらしいと言う。ただ、北畠親房の話もご同道していた宗良親王の話もないとのことであった。彼らは無事に東国にたどり着いたのであろうか。結論から言えば軍団中無事に何処かに着いたという情報は一つもなかった。
 また、もう一つ気にかかる情報があった。伊勢国安濃の出雲川付近に足利方の軍勢が南朝方の軍勢を待ち構えて待機しているらしいと言う。今回の東国平定の北畠軍は、伊賀千賀地党の忍者隊、皇大神宮(内宮)禰宜の荒木田党、外宮の度会党、さらに伊勢の鈴鹿、安濃、一志、度会、多気の各所から動員した兵及び伊勢大湊の問丸(廻船業)元締めである光明寺の僧恵観から借りた漕手および志摩、熊野の水軍から構成されている。またこれらの軍勢徴兵とほぼ同時期に、顕信の実弟である北畠顕能(あきよし)が従四位下伊勢守として国司に任命され着任している。従って今、伊勢守顕能貴下の伊勢、志摩南朝勢は極めて手薄な状況であると言わざるを得ない。この北畠顕能の伊勢国司任命に対して足利幕府側も高師冬を伊勢国守護に任命し対決姿勢を明らかにしている。調達から戻った島民からもたらされた安濃出雲川付近の足利方軍勢というのは、この高師冬の軍勢だと考えられた。

顕信は神職二見らも交えて再度今後について話し合った。この篠島から吉野への帰還路は主として三路考えられる。まず一は、知多幡豆岬あるいは尾張のいずこかまで海路、その後、尾張から陸路東海道(鎌倉街道鈴鹿路)を通り、市腋(いちえ:現在の愛知県津島市)で木曽三川を渡渉し鈴鹿峠を越えずに伊賀を抜けて吉野に向かうルート。次に考え得るのは出発地である伊勢大湊まで海路で戻り、陸路一志から峠越えで大和宇陀(やまとうだ)を抜け吉野に至るルート。そして最後に、熊野まで海路で行き、陸路、修験の奥駆け道で吉野に抜けるルート。
 この島にある船は全て小型漁船でしかも帆がない。最大の船は伊勢神宮へおんべ鯛を届けるために使用する船で、それでも漕ぎ手八名、他八名が乗れる程度の船である。今、浜に座礁している御座船を修理できる船大工も島にはいないと言う。だとすれば、海路が短ければ短いほど危険が少ないはず。その意味では知多幡豆岬までのみ船と言う第一案が安全なのか。否、顕信は当然陸路でのリスクも勘案しなくてはならない。知多幡豆城の千秋昌能はまあ南朝方であるが尾張を出て東海道では美濃の土岐頼康や近江の佐々木高氏は足利勢。その他中立的な中小城主達は皆、日和見的でその時その時で勢いのある側に付く。そして今、彼らの多くは北朝を向いている。手勢のない親王は彼らの手柄を上げるに格好の餌食に見えるはず。それでは逆に第三案ではどうか。熊野からの修験の奥駆け道は険しい山岳道で敵勢と遭遇することはまずないであろう。また多くの行者達は親王を守るであろう。しかし、島長も神職の二見も口をそろえて熊野までの航海は困難だと言う。仮に船がもつとしても志摩の複雑な海岸線には海賊が多く、地場でない船が航行すると必ず襲われるとの話。志摩を大きく迂回しようとすれば船の限界性能を超えた沿岸を遠く離れた海路になる。だからこのルートも無理である。だとすれば、やはり大湊に戻り伊勢多気の顕能の所で体勢を整えたいところである。しかし、調達から戻った島民の情報を信じた場合、このルートで吉野に至ることも今の手勢ではとても無理である。それどころか顕能達ですら応援がないと危ないかも知れない。多分、顕能は外宮禰宜の度会家や内宮禰宜の荒木田家にも支援要請し城を固めているはずである。だとすれば、何時知れもせず、また何処への入港かも知れぬ親王の乗船した一隻の船を警護する余裕などありえない。まして、出雲川付近には高師冬の軍勢が待機しているのである。

沈黙の中、神職も島長も顕信も一つの結論に達せざるを得なかった。この島にいる限りにおいては幸い本土と切り離されている。まず敵方に存在を悟られることを心配する必要はない。従って、吉野に迎えと警護を要請し、その迎えがくるまでは親王一行はこの島で待ちつづけるしかないという結論に。

だとすれば、親王一行は長期滞在になるかも知れない。島長には水が心配であった。如何に親王が天照大神の末裔であろうとも、このまま水の代わり御神酒を飲ませつづけるわけにはいかない。まだ鬚すら生えない子供である。

島長はふと、一昨日、目西が
「清水は島に有り」
また夕べ
「水は高きから低きに流れる。たとえ土中でも。たとえ孤島でも高きと低きがあ
らば」
と言っていたことを思い出した。両方ともあまりにも唐突な発言であったためよく覚えていたのである。目西は不思議な力がある。例えば西の方角を正確に言い当てたり、物を一度見ただけで細部まで記憶に留めることができる能力など。島長は、もしかしたら目西が天水でも塩水でもない清水の在り処を知っているのではないかと思い始めた。目西は今どこにいるのか。島長がそう心の中で思ったところに、ちょうど目西が現れた。こやつはいったい何者。心が読めるのかも知れぬ。島長は不気味なものを感じつつ目西に問うた。

「島のどこぞに清水があるのか」
「ある」
「どこだ」
「掘れば分かる」
「井か。島の井はどこも塩水ぞ。清水が湧いているわけではないのか」
「井だ」
「どこの井だ」
「掘れば分かる」
「まだ掘って確かめたわけではないのか」
 島長はやれやれといった感じで白髪を掻いた。掘ったところでどの道塩辛い水が湧くに決まっている。目西は西を向きながらやや長めの応答した。
「雨水は土中にたまる。たとえ土中においても水は高きから低きに流れる。水は谷筋をたどり高きから低きに流るにつれ水嵩を増す。土中においても同じこと。だから、低きでは井をほれば水が溜まる。ただこの島においては低きでは塩水となる。それは土中に塩が溶けているからなり」
 この説明に島長はいちいち頷いた。
「土中に塩が溶けている場所には根の深い大木は生えないなり。また逆も真なり」
「ほほう」
 島長は島の景色を頭に浮かべてみた。島の低地つまり平地には大多数の島民が住み、漁を生業にしている。小高い丘の上や中腹は神域、寺域と島長や神職たちが住む館。そう、確かに島の低地には草や潅木が多い。それに知多から移植したウバメガシと古来より塩害や潮風に強いとされた松ぐらいであろうか。それらも背丈が低く決して大木ではない。平地は人工が多いからとも考えられるが土中の塩の性とも言えるかもしれない。逆に島で一番高地に連なる医徳院の浦あたりからはナラやカシあるいはミズナラといった広葉の大木が存在している。
「医徳院の門前に谷筋がある。その谷筋を少し登ればある所からドングリのなる大木が茂る。その下を掘れば清水が湧く」
 目西の語る言葉はまるで預言者であると島長は思った。
 島長は目西の言葉を信じてよいのかどうか判断できなかった。いつものことではある。そこで神職と北畠顕信に相談してみた。結果、神職はだめもとで良いのだから目西の言う場所に井を掘ってみるべきだと主張。また別段反対する理由もない北畠も掘ることに同意した。
 医徳院の門前から丘の谷筋に約50メートル。海抜にして20メートル。そこを島長が監督し、島民幾人かを動員して井を掘った。掘ること約二メートル半。なんと言うことか。水が湧き始めた。初めのうちは泥水であった。暫くすると水位が上昇。澄んだ上澄みを島民が手で掬い取り飲む。
「全く塩辛くないわい」
「何。わしも確かめる」
 島長も飲んだ。
「確かに。これは真水じゃ。これほどの水がこの島から湧くとは。実にうまい」
 島長は感涙しながらも目西の特殊な才能に恐怖心を持たざるを得なかった。やはりこれは何かの妖術ではないかと疑った。水位は益々上昇する。穴掘りの島民も井から抜け出し、予め浜で用意した井の底に敷き詰める砂利を水中に投げ入れた。また井の回りを大きな石で補強した。こうして後の世に帝井(みかどい)と言われる井戸が完成した。

 この井の話は瞬く間に島中に広がった。目西の正確な予測が的中したことも噂となった。北畠顕信は詳細を島長から聞いた。また島長は、これは目西の持つ魔術か妖術の類ではとの感想を漏らした。しかし顕信は全くそうは思わなかった。目西の推測は全て理にかなっている。けして魔術や妖術ではなく、彼の自然を見る鋭い観察眼と論理的な思考による結果であると顕信は思った。奇人とは言え自分と異母兄弟なのである。逆に、この愚直そうな白髪の島長にむしろ彼は哀れを覚えた。


       



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