愛知県知多郡南知多町篠島。五月八日月曜日曇天。ゴールデンウイークも明け昨日までの喧騒は嘘のように静けさを取り戻している。さほど有名な観光地と言うわけでもないのだが、最近ではふぐ料理を名物としていて長期休暇にはそれを目当てにかなりの釣り客等がくる。また、海水浴シーズンほどではないにしろ遠出を避けた名古屋やその近郊の住人が手近な観光地として訪れる。だからそれ相応に混み喧騒に包まれる。しかし、帝井に目を向ける人は少ない。まして今日のような単なる平日では。

 今、美佐子の眼前には帝井がある。これがあの義良親王が飲んだと言う帝井。考えていたものとはかなり異なる。もっと綺麗である意味もっと大切にされていて場合によってはこれに纏わるお店等があるのかとも思っていたのだが。全く観光化されていない。また本当に水が湧いているのかすら不明である。確かに紀雄が語っていた通りではあった。現実とは期待と大きく違うのが常。しかし、見た目の美醜とは無関係に現実には迫り来るものがある。
 美佐子のすぐ後ろを原付が通り過ぎていく。ノーヘルである。これもまた紀雄が話していた通りの篠島の生活なのであろう。しかし、聞いて想像するのと実際に体感するのでは無限の差がある。これらすべてが今、美佐子の前の現実なのである。

 鎌倉の実家に戻ってからというもの、無論仕事はない。さらに娘の世話も家事も母に任せ通し。まるっきり実社会の現場と疎遠になってしまった。復活したメールやインターネットをいくら見てもそこに表現されているものを自分の手にとり重さを感じ、温度を感じ、匂いを感じ、五感で調べることができない。それは学芸員としては居た堪れないことである。確かに頭痛は軽くなったが現実から乖離し続けていると無気力になり精神の鬱になってしまうのではと思う。それではいけないと思いつつも。いつの間にか様々な現実を自分から逃避していくかのようになりつつあった。自分の存在が世の中からフェードアウトしていくような・・・・・・・・・
 ところが、一昨日の三杉真里からの思いもよらないメール。美佐子は、もうこれ以上今の状態のままではいられないという欲求が一挙に高まった。目覚めなくては。もう毎日が日曜日の状態から戻らなくてはと。
 そして娘の綾実を鎌倉の実家に預けたまま、まるで家出のようにここに来てしまった。ゴールデンウイーク中は晴彦が鎌倉に来てくれていた。しかし今日ここに来ることは晴彦にも伝えていない。
 そして今ここにいる。でも、これ以上この帝井の現場にいても何も得るものはない。美佐子は仕方がなく徒歩で港に向かい師崎までの高速船を待つことにした。

* * *

 材木座に来てから一週間も経つと幸い頭痛の頻度が減り始めた。と同時に携帯だけでは情報不足なのを美佐子は痛切に感じた。美佐子の周囲の人々は携帯へ長文のメールや添付ファイルは送付しないようにしている。確かに些細なことは携帯メールで特に晴彦から送られてくるのだが。一方、先週、須坂父子に会って以来、百万塔に関する情報は何も入ってこなかった。
 実はこの実家にもデスクトップのパソコンがあった。美佐子の両親は先日誰にそそのかされたのかADSLから光ファイバーに変えていた。おかげでネット環境はむしろ実家のほうが良いぐらいである。そのパソコンに自分のメールアドレスとsmtpサーバーをセットして須坂父子と三杉真里にメールを出した。東と野本は宛先に加えずに。中味は単なる近況報告でしかないのだが。ただ最後に百万塔に関する新たな情報があれば送付して欲しいとも記した。 
 早速その翌日、智から材木座海岸やレストランで話した内容に関するメールの転送信と、それに続く約一週間分のメールのやり取りが届いた。元のメールは39度40分40秒線上の地名とファミレスで議論したストーリーに関するメールである。

送信者:  ”須坂 智” <satoru@mfx.hink.ne.jp>
宛先:     ”岩井美佐子” <m-iwai@hmuseum.pref.yamanashi.jp>
送信日時:   20**年4月16日 23:08
件名:       FW:続北緯34度40分39秒線

岩井様

転送します。

---- Original Message ----
From:”須坂 智” <satoru@mfx.hink.ne.jp>
To: “三杉真里” <misugimari@nif**.com>
Sent: Monday, April 9, 20** 17:56
Subject: 続北緯34度40分39秒線

皆様へ

百万塔レプリカに関する北緯34度40分39秒線上にある地名、寺のリスト(西から)

地名・寺名     北緯        東経        百万塔との関係   
元興寺   34度40分39秒 135度49分53秒 百万塔が奉納された十大寺
                           の一つ
伊賀上神戸 34度40分54秒 136度 8分48秒 内文書の宛先
篠島    34度40分39秒 137度 0分28秒 内文書の透かしで現れた地名
貞永寺   34度40分39秒 135度49分53秒 レプリカの砂採取地(千浜)
                           の寺、実は安国寺

 ちなみに、甲斐安国寺は北緯35度34分32秒、東経138度36分12秒である。従って、北緯34度40分39秒線上で捉えることはできない。一方、リストの地名や寺院が東西を結ぶ一直線上にくるのは、何らかの意図があると考えざるを得ない。(確率論的に)そこから類推されるのは非常に特異な才能を持ち合わせた誰か一個人の存在である。かつ、その特定の個人は本物の百万塔から図面なしで、つまり記憶のみでレプリカを作製した人物そのものであると考えると自然である。何故ならば双方ともに幾何学的把握能力に特異性があるという共通性があるからである。
 昨日、岩井さんと父と私とで、上述の考えに基づき以下のストーリーを考えた。尚、ここでは上述のある特定の人物を仮に東西(ひがしにし)氏とする。 

◆東西氏の出身地は伊賀国上神戸である。
 →東西氏は忍者である。また、東西氏は一度見た物を写真的に記憶することができ、
  かつ東西南北の方位を知ることができると言う特殊な才能を持っている。

◆東西氏は故あって、常に西の方位を意識して上神戸の真西の方位に当たる大和の国の
 元興寺に移る。
 →東西氏は、元興寺にある百万塔のオリジナルを見て、このイメージ情報を脳に正確に
  写真的に記憶した。

◆東西氏は元興寺の真東に当たる篠島に移る。(少なくとも1338年9月以前に)

◆1338年9月義良親王が篠島に漂着する

◆東西氏は、百万塔レプリカを作製する。尾張知多幡豆神社のウバメガシで相輪部を、
 また元々伊勢神宮の用材であり篠島の神社に使用されていた檜から塔身部を。
 →百万塔の内部に救出を依頼する暗号文と透かしで篠島という名が浮かび上がる
  極秘文書を入れ伊賀上神戸宛てに出す。(運搬は東西氏以外である)

◆吉野にその百万塔は到着する。それにより1339年春義良親王は日野頼意ら勅使
 によって無事救出される。

◆役目を終えた百万塔レプリカは引き続き東西氏の手元に戻る。(理由不明)

◆篠島から見た真東にあたる貞永寺(遠江国安国寺)に東西氏は移る。
 そこで秘密文書運搬容器である百万塔レプリカに開封表示機能(タンパープルーフ)
 を千浜の砂を使用して付与。

◆その後、百万塔はそのまま寺に残る。

◆遠江安国寺(貞永寺)と甲斐安国寺とで寺宝の交換が行われ百万塔は
 甲斐安国寺に移る。

◆その後、鎌倉の古美術商を経由して山梨県立***博物館へと移る。 

須坂 智

 

 美佐子はこの後、三杉真里の質問メールとそれに対する智の返答メールを続けて読んだ。驚いたことに途中からCC:ではあるが野本のアドレスが加わっていたい。何か美佐子には気がかりであった。野本に伝わったと言うことは東にも伝わっているのだろう。だからか。多分、そんなことではない。ただもっと漠たる不安感が広がったのである。自分が百万塔に関するディスカッションに全く参加できていないからかもしれない。そんな不安感から解放されたくて散歩がてら鎌倉駅の近くにあるスーパーに買い物に出た。日曜日、街は鎌倉祭のためごったがえしていた。 結局、山梨ではありえないほどの人混みを見て、美佐子はかえって疲労感を増して帰宅しただけであ
った。


 ゴールデンウイークまでメールはさっぱり美佐子の手元に届かなかった。休暇中の晴彦が鎌倉に来た。晴彦がいると益々もって自分が情けなく思えてしまう。皆やはり私のことを避けている。そんな妄想にまで考えが到る事が頻繁となってきた。しかし、ゴールデンウイーク中に着信した須坂教授からのメールの内容を読み美佐子は安堵した。

送信者:        “須坂 紀雄”<n-suzaka@joetsu***.ac.jp>”
宛先:       “岩井美佐子”<m-iwai@hmuseum.pref.yamanashi.jp>
送信日時:     20**年5月3日 5:06 
件名:           タコマから
皆様へ

 こんにちは、上越**大学の須坂です。今、ワシントン州のタコマという街に妻芳子とおります。タコマはシアトルの南50kmに位置する港町ですが背後に富士山より高いレーニエ山が見えます。学会での私の発表は昨日すでに終了してしまいまして、妻と二人で観光モードです。今日ツアーバスでマウントレーニエ国立公園に行き芳子ともども始めて氷河と言うものを見学しました。その雄大さに心打たれました。

 芳子が突然、学会に一緒に行くといい始めた時は仰天しました。智をどうするのか。芳子の言を借りれば、もうあの子は心配ないでした。表向きは。でも実は芳子も悩んでいたようです。本当に智を一人にしてもよいのか。逆に一人にして自立を促すべきでは。あの子はスーパーやコンビニですら物を買ったこともない子です。大学入学以降、芳子は智が自立生活できるように様々なことを教え続けてきたことを私は後で知りました。いざフライトの予約をしようとする段になって逆に芳子が心配しはじめやっぱり止めるといい始めました。この時はむしろ私のほうから芳子にもう一度ハネムーンに行こうと誘いました。

 携帯で話している限り智も無事に過ごしているようです。本当に私ども夫婦は恵まれているのだと思います。最近よく智のゆっくりながらも一歩一歩成長する姿を見るにつけ、私は肩の荷を少しずつ下ろしているのだと自分勝手な思いに浸っておりました。しかし今まで肩に荷を背負っていた気がしておりましたがそれは誤りであることに今回の旅行で知ることができました。そもそも荷物など背負っていないわけですから。持っていたとすれば宝です。宝を誰が捨てますでしょうか。一生大切に身に着けているはず
です。

 正直、皆様へメールでこのようなことを書くべきなのか。でも今、私の率直な気持ちを伝えずには入られないとでも申しましょうか。ついメールを書ました。

それから、追記ですが、このところ皆様、百万塔に関する話題が随分と減ったように思われますが。本当に智が考えた東西氏のシナリオを信じてよいのでしょうか。

紀雄@タコマ 

 美佐子はこのメールを読み様々な意味で安堵した。安堵するとともに涙が溢れ出した。須坂家の人々のこと。宛先の筆頭を美佐子にして出した須坂教授の思いやり。また、最後の追記分で自分だけが議論から外されていたのではなく本当に皆メールを出していなかったことが分かったこと。本当に美佐子は安堵した。そして、もうそろそろ、このうじうじした状態から目覚めなくてはと切に感じた。
 この須坂教授のメールへの返信と言う形は取っているものの明らかに美佐子宛の衝撃的なメールが真里から届いたのはこのメールから三日後のことであった。

送信者:         ”三杉真里” <misugimari@nif**.com>
宛先:          “岩井美佐子”<m-iwai@hmuseum.pref.yamanashi.jp>
送信日時:      20**年5月6日 22:32
件名:          Re: タコマから
岩井様、皆様

 お世話になっております。山梨県立**図書館の三杉です。

 非常に唐突ではございますが、山梨県立***歴史博物館の野本英明と私は5月5日付けで入籍いたしましたことをご報告申し上げます。当面、挙式、披露宴などは予定しておりません。また、お互い現住所も未だ変わってはおりません。しかし住居は良い物件が見つかり次第引っ越すつもりでおります。その時には再度連絡申し上げます。

 話は変わりますが、百万塔レプリカの件、智さんのシナリオとその論拠は相当に理解したつもりでおりますが、どうしても腑に落ちない点があります。特に最後の遠江安国寺と甲斐安国寺で寺宝が交換されたという点です。安国寺通しということ以外に論拠がありません。それまでの地理学的論拠とあまりの異質に困惑します。野本も、もし寺宝交換であるなら記録を残すのが普通であるとのこと。記録は物品とともに存在することが多く、消失する場合は物品も消失しているはずとのこと。物品だけが残り記録が存在しない場合は稀であるとのことです。その辺の事情は、野本が言うには岩井さんが最も詳しいとのことです。

 岩井さん、もしその辺りに知見がありましたら教えてください。

 三杉からの強烈なパンチである。それも二連発である。入籍。それも野本とである。これだけでも目は充分覚める。それにも増して最後の一文は挑戦状。良く解釈すれば、もういい加減休暇は止めて仕事に復帰したらどうというお誘いかもしれない。
 美佐子は体内から久しぶりにエネルギーが湧き上がるのを感じた。もし真里がそう言うのなら受けて立つわよ。何かに挑戦しなければ今の仮面鬱状態からは所詮抜け出せない。必要なのは休息ではない。そんな気が美佐子にはした。と同時に、もう居てもたっていられなくなってきた。確かに寺宝交換は妙かもしれない。しかし、そうではないとしてその手がかりは。どうすれば解ける。分からない。このまま分からないということで何もやらないのでは今までの自分と同じ。兎に角、何かをしなくては。 翌日、終日インターネットで検索をしまくった。頭痛。確かに若干ではあるが頭痛はする。でも調べ続ける。残念ながらヒントは見つからなかった。どうすべきか分からない。でも今の美佐子は行動を先行させる必要があった。行動。手がかりを見つけるにはまず現場にいかなくては。現場。それは、・・・篠島や貞永寺。ネットの乗り換え案内で直ぐさま検索。明朝には出よう。

* * *

 美佐子は結局、何も得ることなく篠島を去った。でも特別に焦りがあるわけではない。もう美佐子は仕事を再開しているのだ。ある意味それで満足であった。
 師崎で高速船を降りた後、美佐子は幡豆神社にあるウバメガシの社叢を見に行った。以前、須坂教授が語っていた叢林の印象は確か明るく風通しの良い林であった筈である。しかし美佐子は随分異なった印象を持った。木々の枝ぶりが奇妙なのである。真っ直ぐ上に伸びずかなり傾いている。そしてその奇妙な枝で通り道がトンネル状に覆われている。さらに今日は曇りである。それが故かある意味不気味な印象を持った。実は風衝樹形と言い風当りが強い場所でこのような樹形に木が成長する。この林の木で百万塔レプリカの相輪部を作ったなんて結構あのレプリカも不気味だな。美佐子の率直な思いである。
 目に映る枝ぶりをぼっと眺めていてしばらくすると意識が飛んでしまうような気がした。意識を元に取り戻さなくてはと思い、やっとそもそものこの唐突な旅の目的を思い出す。そう、どうして百万塔レプリカは遠江安国寺から甲斐安国寺に移動したのか。しかしまたウバメガシを見つめ別なことを考えてしまう。多分、何か追求する際、普通は何某かの説を立てその説を検証するように動くのが当然なのだが、今回美佐子には何も説と言うものがなかった。だから逆に言えば手ぶらで篠島を去っても悔いがないのかもしれない。
 曇ってはいるが展望台からは佐久島、日間賀島、篠島さらには神島が見えた。景色は綺麗だと思ったもののこれと言って景色を見ていてもヒントは何も得られなかった。そこで展望台から神社に向かい参拝する。二礼二拍手。まずは綾実が健やかであることを願う。次いで晴彦が浮気をしないこととこの謎が解けることを。それから自分の仮面鬱病が治る事を願った。そして一礼。自然とこの順番で願ったのだ。これが今の美佐子の素直な優先順位なのかもしれない。参拝を終えて少し気が楽になった気がした。まあいいか。収穫はないけどそろそろ引き上げよう。

 河和行きのバス停に戻る道すがら行きには気がつかなかったのだが随分と立派な石碑が建っていた。石碑は篠島の方向を向いているように思えた。職業柄というか、ついしげしげと観察してしまう。まず美佐子の目は年号を探した。石碑の裏に年号があった。大正年間である。裏面には「野口翁遺嘱 大正二年八月吉日青木新九郎建」と刻まれていた。全く知らない人物である。それから徐に表の碑文に目をやった。

     山路より けふはいそへの さとにきて
                うらめつらしき たひころもかな

と書かれている。 和歌のようである。また石碑の銘には宗良親王御詠歌碑と刻印されている。宗良親王って。比較的歴史に詳しい美佐子でもピンとこない。そうだ電子辞書。実家に置きっぱなしになっていたためずっと使っていなかったハンティングワールドのトートバックで来ている。その中から電子辞書を取り出した。実はこの電子辞書はメモリーカードにダウンロードしてある音楽を新幹線の中で聴くためのi−pod代わりとして持って来ていたものなのである。 

親王(むねよししんのう)
(ムネナガともよむ)後醍醐天皇の皇子。天台座主、尊澄法親王と称。鎌倉幕府倒幕運動に加わり讃岐に流されたが幕府滅亡後還任。のち還俗。征東大将軍。吉野から東国に下る途中遠江に漂着、信濃など所々に転戦、再び吉野に帰る。「新葉和歌集」を撰し、歌集に「李花集」がある。(1311〜) (広辞苑)

 えっ、後醍醐天皇の皇子。てことは、義良親王のお兄さん。多分異母だろうけど。どうしてここに石碑があって歌を読んでいるのかしら。遠江と信濃。おしい。遠江と甲斐ならば。でも近い。何か関係があるのでは。でもここでは調べようがなかった。美佐子は何度か歌を口に出して詠んでみた。
「山路よりけふはいそへのさとにきてうらめつらしきたひころもかな」

 河和行きのバスが来るまで時間があった。ふと美佐子は須坂智宛に携帯でメールを打った。

To: satoru@mfx.hink.ne.jp
To: n-suzaka@joetsu***.ac.jp
Sub: 宗良親王
[本文]

こんにちは、岩井美佐子です
(・.・;。\(◎o◎)/!
ですか。
ところで、宗良親王ってご存知
ですか。単に勘なのですが、
この人物が遠江と甲斐を結ぶ鍵
のような気がします・・・

美佐子
@愛知県師崎・石碑の前より

 送信

 美佐子が名古屋でのぞみに乗った時には曇りのせいか薄暗い時刻となっていた。三人がけの通路側席。ビジネスマンでほぼ満席である。出発し、ふと美佐子は頭痛がないのに気がついた。


        





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第二部目次 (甲府・ 東山道編)