この三〜四日間、美佐子の偏頭痛はむしろ悪化していた。仕事を学芸員でもない真里に奪われつつあるからなのか。何か常に焦燥感に駆られている気がする。しかし、何からどう手を着ければよいのかわからず何かをしようという気が生じてこない。そして頭痛。どうにもこうにも悪循環している。

 今週から綾実の保育園は新学期がスタートした。綾実の送り迎えだけは何とか美佐子がやっている。他の美佐子の日常生活は食事の準備と後片付けに掃除洗濯。博物館にもいかずパソコンにも触らず、携帯メールすらせずに、テレビも見ずにぼっとしている。ひたすらぼっとしている。こんな日常ではかえって頭痛が酷くなる気すらする。鎌倉の実家行きを真剣に考えるべきなのか。材木座海岸でのんびり散歩でもしたら少しは良くなるのであろうか。

* * * 

 三杉真里は筑波の高森に電話をかけてからすぐその事を博物館の野本に伝えていた。それを受けて野本はサンプルをその日のうちに筑波の研究所に宅配便で送付していた。そしてそれから四日後には研究所の高森から関係者の想像だにしていなかった結果が三杉の電話に入った。
「砂の粒径分布は、まあ大体0.3mmから0.5mmで比較的揃っている方だね。いわゆる中粒径の、そこそこ綺麗なほうの砂だね。砂の構成粒子は、砂岩、頁岩、チャートが多く、次いで石英、長石、火山岩片などで、軽石質, 流紋岩も若干だけど混ざっている。凡その構成比率も割り出してみたんだがね」
「はあ。で、採取地点とかは分かりましたでしょうか」
「ああ。その結果でもってだね、研究室のデータベースには全国の、いや、全世界3万地点もの砂の粒径分布、色合い、構成粒子とその構成比が登録してあるので、その結果でもってだね、今回のサンプルを国内に限定してだが、データベースのデータと比較検索してみたんだがね」
「ええ」

「3箇所ほど候補地点が挙がった。それで先日君から聞いた説明なんかを考慮してだね、それからさらに時代的なものとか、他の幾つかの条件等から考えて候補地を一地点に絞ることができたんだがね」
「それで、それは・・・・篠島ですか」
「いやいや。実は、ほぼこのサンプルの砂は静岡県掛川市の千浜砂丘あたりのものであると断定できるね」

「えっ。静岡ですか。愛知県の篠島のものではないのですか」
「ああ。百万塔とやらの製作場所が愛知県の篠島であると、先日、博物館の方から聞いていたのでね、実はデータベースで先に篠島の砂があるかどうかとか、もしあったとしたらどういう粒子構成なのかとか調べてみていたんだね、事前に」
「それで」「ずばり、データベースに篠島の砂が登録されていたもんだからね、すぐに今回のサンプルの砂と比較してみて、全く異なることが分かったんだよね」
「はあ」
 三杉はがっかりしたと言うより耳慣れない土地の名前に困惑した。静岡県掛川市。むろん名前は知っている。だが千浜砂丘とは。第一に三杉は砂丘などというものは日本に鳥取しかないと思っていたのだから。
 三杉は高森に、何度も礼を述べてから電話を切り博物館の野本に結果を電話で知らせた。

 三杉は野本の次に美佐子に電話を架けた。
「例のパキシル効いてる」
「うん。効いてると思う。だけどここ二三日調子が悪くて、結構頭痛するのよ」
「あら」
なんとなく、美佐子の声が沈んでいるためか二人の会話は弾まなかった。
「あの、例の百万塔のレプリカの相輪部の中からでてきた砂なんどけど」
「うん」
あまり興味なさげな美佐子の返事であった。
「あれさ、分析結果では、何と静岡県掛川市の千浜砂丘のものらしいのよ。篠島じゃないなんてびっくりよ」
「あら」
また、気抜けの返答であった。真里はよほど美佐子の頭痛が酷いのだろうと思い、この後、ふたことみこと挨拶程度の会話をして電話を済ませた。真里は何か美佐子の態度にひっかかる思いはあったのだが特に気にもせず次の行動に移っていった。 

 実は美佐子は衝撃を受けた。せっかく、自分や須坂親子で築き上げてきた篠島説をいともあっさりと真里に否定されたと感じたのだ。真里はいったい自分の味方のなかあるいは敵なのか。今や美佐子にとってはそれが考えの中心となっていた。
 その日の夕食後、美佐子は禁止されているメールにとうとう手をだし、思いのほどと言うほどでもないが自分の考えをキーボードに打ち込んだ。

送信者:    岩井美佐子<m-iwai@hmuseum.pref.yamanashi.jp>
宛先:      “須坂 紀雄” <n-suzaka@joetsu***.ac.jp> 
送信日時:   20**4621:36
件名:       近況
 須坂教授殿

 大変、ご無沙汰しております。 **博物館の岩井です。(@・@)

 先生は多分私の病気のことを県の同僚の三杉真里さんから聞かれていることと思われます。病気のことで色々とご迷惑をおかけし申し訳ございません。実は、メール使用も医者から禁止されているのですが、今始めてこれを破っています。こうしてメールを打ち込むとむしろ落ち着きます。  ところで、三杉真里さんから百万塔のその後の進捗を私も電話で聞きました。彼女は専門家でもないのに随分とこの件に個人的な興味を抱いているようでして、先生にご迷惑をおかけしているのではと心配しております。
 百万塔の中から出てきた砂を分析したところ、それは篠島の砂ではなく静岡県の千浜砂丘あたりの砂であるとか。もし百万塔が篠島ではなく静岡で作製されたとすれば、今までの筋の通った論理は何なのでしょうか。正直、信じられません。

 もう少し書きたいことがあるのですが、長時間メールを使用するのはまずいと思いますのでこのあたり切り上げます。
                                     以上

 美佐子は色々なことをメールに書きたかったのだが。書いている途中で、治りかけていた頭痛がぶり返してきた。それで、あわてて最後の文章を書き、cc:に智を加えて送信ボタンを押してパソコンをシャットダウンした。

* * *

 今日は大学の入学式であった。初めてのネクタイとスーツ。おかげで朝から芳子は大忙しであった。紀雄は学部の前期履修科目のガイダンスにあったており上越から離れらない。紀雄がいないため写真やビデオも全て芳子が取らなくてはならない。先週買ったばかりのワイシャツを相当に嫌がる息子に無理矢理着せ、ネクタイに至っては何度もはずしてしまうので、写真を取る間だけでもネクタイをしていてくれと息子に懇願しやっと締めた状態にした。また、スーツを着せるのも大事であった。それでもどうにかこうにか、何とかアパートを出発し小田急線の向ケ丘遊園駅に向かうことができた。
 智の通う予定のキャンパスは川崎市内にあるのだが、入学式だけは都内のキャンパスで実施される。そのため朝から満員の小田急線急行電車に乗らなければならない。息子とは言えスーツとネクタイをした男の手を引いて電車に乗るのは芳子でさえもさすがに恥ずかしかった。大学の入学式に付き添う親などというのもそもそも恥ずかしいものなのだが。
 満員電車内では人同士の体が押し合う。智は他人に少し身体を触られただけでも激怒する可能性がある。果たして満員電車の試練に耐え得るのか芳子は冒険だと感じた。ところが、あまりのパック状態に抗することが所詮無駄であると悟ったのであろうか。幸い智は叫びも怒りもしなかった。このことに芳子は非常な安堵を覚えた。この子も案外普通の子じゃないと。
 入学式自身も智は極めて静かであった。芳子にとっては第一関門通過にしか過ぎない。しかし、意外とあっさりと通過したものである。紀雄が最近よく口癖のように、「これで肩の荷が少しだけだが軽くなった」と言うが、芳子もまさにその言葉通りと感じた。こうして、智と芳子は入学式を済ませたのである。
 今日の入学式のことを芳子は携帯で紀雄に伝えた。そして、紀雄の感想は、案の定、例の口癖であった。
「これで肩の荷が少しだけだが軽くなった」

 向ヶ丘遊園のアパートに戻ると、智は早速にパソコンに向かった。今日、ブロードバンドが開通したのだ。このアパートで智がパソコンに向かえると言うのは、実は芳子にとって何よりのことであった。ブロードバンドが開通するまでは、無線LANスポットのある近所のハンバーガーショップに何度も智に付き合わされていたのだから。一昨日などは深夜にもかかわらず行ったのである。大学生なのだから一人で行かせるべきであると何度も芳子は思ったのだが、結局、全て付き添ってしまったのだ。ただ、おかげで何食分かは食事を作らずに済んだ。

 智は、ブロードバンドで早速、岩井からのメールを読んだ。そして、直ぐに岩井の論理の飛躍に気がついた。百万塔レプリカの中の砂が静岡県千浜砂丘産だとしても、それが篠島説を何ら否定するものではないと。あくまで砂が千浜砂丘のものだというだけである。
 それでも智自身は千浜砂丘なる地名を知らないので地図で確認しようと考えた。無論このアパートに日本地図はなかった。そこで彼はインターネットで公開されている電子国土ポータルを開いた。実は夕べハンバーガーショップからアクセスしている時に偶然国土地理院の電子国土Webシステムをダウンロードしていた。そして今、このシステムで千浜砂丘の位置は静岡県の御前崎の西であることを確認した。次に智は篠島の地形もこの電子国土で見てみようと思いたった。愛知県は静岡県より西だからとて、縮尺が4万分の1の状態のまま、西へウィンドウをスクロールさせるために画面左の左矢印をクリックし続けた。縮尺をもっと広域にして一気に愛知県の知多半島の突端付近にカーソルを移してから再び詳細画面にしていけばいいものを。

 ところが、なんともラッキーというか、あるいは不思議なこととでも言うべきか、縮尺4万分の1のまま左にどんどんスクロール、つまり真西に地図を移動させただけのはずではあるのだが、篠島が画面中央付近に入ってきた。つまり千浜のほぼ真西に篠島があると言うことを意味している。智は篠島をより詳細画面にしてみた。そして帝井のある付近、つまり医得院のある場所の座標を出した。この電子国土は便利なシステムで、ある地点の正確な座標、つまり緯度と経度を表示させることが可能である。さらに、任意の二点、さらには多点間の距離やさらには面積なども計測、表示させることができる。
 智は帝井の座標を頭にインプットした。北緯34度40分39秒、東経137度0分28秒。それから智はどの程度この地点が千浜砂丘の真西なのか、また直線距離はどの程度はなれているのか数値で調べてみようと思い立ち、再び画面を千浜付近に戻してみた。
 千浜まではなんとキロメーターで言うとぴったり100kmである。これは単なる偶然であろうか。そして本当に篠島が真西かどうか。もし地名で言う千浜や千浜砂丘が真東であれば北緯が変わらないはずである。果たして北緯は。若干ではあるが篠島より千浜と言われる周辺は南にあるようである。
 智は特殊だ。普通人が何かに熱中して追い求めているときと言うと興奮しているものである。その追求が自分の思い通りの結果になるときなどは悦びを感ずるものであるし、逆に結果が自分の想定外の時は失望したりするものである。ところが智にはそのような感情がなく、常時一定の感情下で物事の追及が進む。
 千浜と篠島は寸分違わぬ東西関係ではないことが判明したが、智は失望しなかった。次に智が試行したことは、それでは千浜周辺で帝井の真東に当たる地点はどこか。それも、そこの地点が浜でないというのならば、単に山や田畑ではなく何か篠島あるいは百万塔を想起させるような物がないか。そのような観点から電子国土をながめた。つまり、千浜周辺で東経はともかくとして、真東である地点、つまり北緯34度40分39秒に何か百万塔を想起させるような物がないであろうか。地図をよくよく眺めた。
 千浜より少しばかり西ではあるが全くの同緯度である北緯34度40分39秒の地点に、単なる山でも川でも田畑でもないものがあった。東経138度1分59秒の地点に卍印が電子国土に表示されている。残念ながら電子国土にはこの寺の名前は記載されていなかった。そこでその寺の名前を調べようとグーグルで地図を開いた。結果、寺の名は貞永寺と分かった。
 貞永寺とはいかなる寺か。それが彼の次なる疑問であった。もし仮にこの寺が14世紀当時に存在していたとするならば、何某かの百万塔レプリカとの関連性があるかもしれない。そのままグーグルのホームに戻り、貞永寺と入力し検索をクリックしてみた。
 岡山県に同名のお寺があるらしい。検索結果にはそのお寺が主として出ている。でも、掛川市の貞永寺に関するホームページも少数ではあるがあった。 

 金剛山貞永寺。臨済宗妙心寺派。ただし、もともとは貞永二年(1233年)に真言宗の寺として建立されていた。その約100年後、南溟殊鵬が開山となり再建。何と、驚くべきことにその再建とは、実は遠州安国寺として再建したと記載されて
いた。


       





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