県の教育庁総務課に提出する書類には今どきながら一箇所ではあるが部署の押印欄があった。申請がそもそも紙であること自体驚きである。よほど休職願いの提出が少ないからであろう。そのためもあって、三杉真里はわざわざ図書館を出て書類を持って**博物館を訪ねた。が、実は美佐子の言う百万塔のレプリカを見てみたかったのである。無論、事前に館長である東に書類押印の件とともに百万塔の見学を依頼しておいた。

 三杉は岩井美佐子から開示されたメール情報等で、百万塔に関する基礎知識と今回のレプリカの謎、そして解明された点、未解明の点等、大体は把握できていた。特に未解明の点に関しては自分で答えを出してみたいと言う至極当然の要求に駆られた。
 三杉は細身のジーンズにヒールの高いブーツを履いていた。館長の東は外見の派手な女と話すのはいやではなかった。何かと東は百万塔のレプリカを見せて三杉の気を惹こうと努めるのである。
「この相輪部、面白いんですよ。音がでるんです」
と言って相輪部だけ外して三杉に相輪部を振って見せた後、東は彼女に相輪部を手渡した。渡しながら見た女の手。ネイルアートの施された爪。華奢な指だと東は思った。指輪は右手の薬指。
 真里は相輪部を自分の手で振って音がするのを確認した。確かに中に砂でも入っているような音がした。相輪部は高さ約9cmで中央の芯部となる細い部分と厚さ5mm程度の円盤部の5輪から成る。その円盤と円盤の間の幅は5mmとなく、ここに指を入れることはできない。だが真里の付け爪の長さは約10mm。真里は、何気なく持ち手である右手の人差し指の爪先を円盤と円盤の間に入れて、相輪の中央の芯の部分をこするようにいじってみた。爪先が何とか芯部に届く程度なのだが。と、真里は何か違和感を生ずる部位があると思った。爪先が細い溝にはまり込み引っかかるような感触。さらに爪に神経を集中し感触を確かめた後、じっと相輪部の中央付近を見つめてみた。外見上その差異はよく分からなかった。
 東は思いっきり顔を三杉の顔に近づけて
「どうかしましたか」
と聞いた。真里は東のしゃべる時の吐く息まで感じそうで、後方に若干仰け反った。
「いえ、ちょっと、ここら辺りに何か違和感があるような気がしまして」
と言いながら、よくよく注視し、再度爪先で擦ってみた。土のように細かいカスが下に落ちたようである。
「ごめんなさい。貴重な展示品を傷つけてしまったかしら」
「いえ、大丈夫です。未だ展示品ではないですし」
真里は東が自分の気を惹こうとしているのに気がつき始めた。そこで、先ほどの仰け反りとは逆に、あえて東の懐に入るぐらいに接近して、やや媚びる様にしゃべっ
てみた。

「ここ、ここの部分、表面の下に切れ込みがあるんじゃないかしら」
「えっ、どこですか」
東は覗き込むように、さらには相輪部を持つ三杉の手に触れんばかりに顔を近づけて凝視した。その部分とは、上部から数えて三輪目と四輪目の円盤の間で、どちらかと言うと四輪目の付け根部分に近いところである。
「この相輪部、この切れ込みの部分で上下に分かれるなんてことはないかしら」
「まさか、そんなことはないと思いますよ」

「でも、ほら」
真里は爪先で相輪部の芯の部分を円周上にさらに削り続けてみた。下に土埃のような細かい木屑らしき屑が落ちていく。
「あっ、ちょっと待ってください。僕が調べてみますので」
ややあわてて東は三杉を制し、相輪部を取り戻し横の机の上に一旦置いた。それから東は、周りを見回しプリンター用のA4のPPC紙を発見した。そこで、そのA4のPPC紙を10枚程度取り、机の上に広げ、さらにその上に相輪部を載せた。載せた瞬間にも土状のカスが白紙の上に落ちた。白の上である。コントラストがありその土色のカスが良く見える。東は相輪部を取って底面を手でやや強く叩いてみた。少しだけではあるがカスが白紙上に落ちたのが分かった。東は三杉真里の色香から目覚めたのか。机の引き出しからカッターナイフを取り出し、それで爪の代わりにカッターの刃先を芯部分にあててみた。
「えっ、あれ」
シャープペンの芯先より細いので幅0.5mmはないであろう。芯部の円周上に溝が間違いなくある。刃先で埋まっている溝を穿る様にした。二分程度であろうか。穿った後、息を吹きかけ、底面を叩き、カスを落とした。円周上をぐるりと一回転。溝が開通した。
「三杉さんの言ったとおりだ。もしかしたら本当にここから上下に分かれるかもしれませんね。そうしたら音の原因も分かるかもしれません。これは少し本格的に調べてみなければなりません。少しお待ちください」
言い終えると、電話を取り、学芸員の野本を呼び出した。暫くして野本が現れ、東が一連の事実を野本に伝え、至急相輪部の調査を命じた。東は三杉に向かって言った。
「というわけで、今日はどうもお騒がせいたしまして」
「いえ、できれば、私も相輪部の調査に立ち会ってみたいのですが」
一瞬の間の戸惑いの後
「喜んで。ただ、少々お時間がかかると思いますが」
東は内心喜んだが、野本の反感を買う気もした。東は三杉にしばらくここで待つように伝えて事務室を出て行った。

 20分以上も待たされたであろうか。真里は待っている間、ここで働いている美佐子のことを考えた。こんな連中とここで仕事をしているのか。確かに、あのすけべおやじの東が上司ではウツになるのももっともなこと。図書館に較べてはるかに来館者は少ない。だから、ほとんど時間を東や野本と過ごすことになるのか。でも反面、司書よりはるかに自分の調査や研究に当てられる時間が多そうである。その点は羨ましいかも。でもこのロケーションでは、コンビニすら周辺にない。図書館は街中にある。真里は車をめったに運転しない。多分、運転が嫌いなわけではないと自分では考えているが。デートの時は無論助手席だし、通勤も徒歩ですむ。それで運転する機会が少ない。だからペパードライバー化してしまっている。そんな真里には郊外での職場や暮らしというのは考え難かった。美佐子のように子どもや主人がいる生活も考え難かった。子どもがいてここで働いて、さらに未だに学芸員として夢を追う美佐子。様々な意味で真里とは異なっている。少しだけ真里は美佐子に較べて自分が寂しく思えた。少しだけだが。

 20分後、東は三杉を実験室に通した。実験台の上に先ほどと同じような白い紙が敷いてある。驚いたことに、その上には既に二つに分解された相輪部があった。真里が立会いを希望したのは、実際に分解する現場を見たかったからであるにもかかわらず、それは既に終了しているのである。東に意図が伝わっていなかったのか。
「野本君が、相輪部を上下に引っ張ったら、ほら三杉さんの言ったとおり。野本君、大して力入れないでも別れたんでしょ。これ。横方向じゃなくて、上下に引っ張ったのはさすが。野本君の推察で音の原因物質が中にあるであろうから、それが、開いた瞬間に漏洩しないように上下に彼は引っ張ったんだそうです」
真里は唖然とした。この人、男の部下のことは褒めるんだ。これでは益々もって美佐子はつらいじゃない。東はさらに、机の上に相輪部の隣に置いてあるガラスシャーレを指差し
「この砂粒が中からでてきたんです。相輪部の中に若干の空洞があって。その中にこの砂が。これが音の原因だったみたいです。ただ、何のためにこんなものをわざわざ入れたのか謎ですが」
と言った。真里はシャーレ内の砂をまじまじと見た。綺麗な砂である。東に対して抱いた印象の悪さを真里は押さえつつ
「結構、綺麗な砂ですね」と応答した。
「ええ、砂場の砂というよりは、まるで砂浜の砂のようです。細かくて白いです。篠島で採取された砂かもしれません。全く確証はないですが」
と、野本が口をきいた。野本は喋る時、真里の視線を見つめながら、消してそらすことがない。真里より幾分か若い男である。綺麗な砂・・・綺麗な目であると真里は思った。
「どこで採取したか調べる方法はないのかね」
と東は野本に尋ねた。
「館では調べられないですし、また、どのようにして調べれば良いのか皆目検討もつきません」
「もしかしたら調べる方法があるかも知れません。砂の専門家に尋ねれば」
三杉が言った。三杉は学生時代のことを思い出したのである。教養時代のこと。自然科学系の講師で確か砂博士と言われていた名物教官がいた。口髭が印象的な人だった。名前は確か、高森。よく覚えているものでもある。十年以上も前のことなのに。果たして都留にある大学に未だにいるのかどうか不明ではある。
「砂の専門家ですか。三杉さん心当たりでも」
「ええ。実は学生の頃、准教授の先生で砂博士と呼ばれていた人がいたんですが。確か高森先生と言う名前でした。未だにあの大学にその先生がいらっしゃるかどうかわかりませんが」
「失礼ですが、どちらの大学です」
「都留市の大学です」
「ああ、野本君、ちょっとネットで高森先生を調べてみてくれない。すぐそこのパソコンで」
野本は命ぜられるまま、スクリーンセーバー状態のパソコンに向かいキーボードを叩いた。そして直ぐに、
「そこまで細かいことはネットでは分からないようです。外部者がアクセス可能な大学のホームページ程度では分からないようです」
と答えが返ってきた。
「私、今日、実は都留に行く用事があるんです。ちょっと大学によって調べてみましょうか」
「えっ、本当ですか」
「ええ」
「調べていただけると助かります」
真里は言ってしまってから多少後悔した。都留に行く用事なんて。そんなことある分けないのだから。


       





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